In to the moratorium

~農学院生のブログ~

社会での活動って「自分が掘った落とし穴に何人他人を落とせるか」ってこと。

社会的な活動って自分の作った落とし穴に何人他人を落とせるかってことだと思う

 

 先日、友達が企画した地方創出系某ベンチャー企業の若手社長トークイベントに参加させていただきました。話も大変面白く、企画としては大盛況だったと思います。ただ、そこで自分が感じたのは自分の普段の生活とのギャップでした。

そこに参加してた人たちは、起業や地方復興を志す、社会人、学生たち、普段から人脈を広げたり、こういったイベントに積極的な方たちが多かったと思います。

なにがギャップかというと、自分は普段大学院生として論文を読んだり、データをいじくったり、資料を作ったりが主な仕事です。それは一つのことを掘り下げる作業で、テーマに関して他人にはわからない部分を突き詰めていく作業とも言い換えることができます。

イベントで行われた活動も、自分の研究活動も同じように自分のために行っていることだと思いますが、その方向性はまったく違うように感じられました。

 

そういった違うタイプの社会的な活動がどう自分に影響するのかということに関して、落とし穴のイメージに当てはめるとしっくりくることがわかりました。

深い落とし穴を掘るか、広い落とし穴を掘るか

社会的な活動を落とし穴を掘る活動と考えてみたいと思います。

そして他人に興味を持ってもらうこと、自分に価値を与えてもらうことを他人を落とし穴に落とすこととします。

上記で書いた活動でいえば、イベントへの参加は落とし穴を広げる活動、研究は深さを出すため下に掘る活動だと思います。

広い穴を掘れば、落とせる人増加の可能性が大きくなり、深い落とし穴にすれば、落ちた人はなかなか抜け出せません。

こういった落とし穴の機能をどれだけ高められるかが自分の社会的な活動なんだと思います。

人によってはとにかく深い穴を掘って、ニッチな部分を磨き、ある小宇宙では第一人者となっている人もいます。一方ある人は、全然穴は浅いのに窓口が広いため、多くの人を取り込んでいる場合もあります。

そして深く幅の広い穴を持つ人も、浅く幅の狭い穴を持つ人もいます。

この点は本当に人それぞれで自分が積み上げた経験がその人の穴の形を決めていくのではないかと思いました。

さいご

こんな抽象的でありきたりな話を最後まで読んでいただきありがとうございます。自分はどちらかというと深い穴を掘ることに特化してきたタイプです。そして将来は深い穴タイプの巣窟である技術屋になることが決まっています。

自分のどうなりたいかを決めるときどんな落とし穴を掘っていくべきなのか考えるのが重要かもしれないです。